有限会社音楽工房ハートアート 松田 圭治郎

松田 圭治郎
 
松田 圭治郎 松田 圭治郎 松田 圭治郎 松田 圭治郎 松田 圭治郎

インタビュー

icon親から子へ、子から孫へ。ピアノの音が家族の歴史を伝える。
ピアノはオーバーホールしていけば長く使えるもの。定期的な維持管理・部品交換等で50年以上もの使用に耐える工業製品である。有限会社 音楽工房ハートアートの松田圭治朗社長は、美しい音楽を奏でるピアノを、いい状態で長く使えるように、陰で支える立役者だ。
音楽工房ハートアートは1995年の設立。そのルーツは、松田社長のお祖父さまである松田正利さんが、1914年に宮崎市で創業した 「 株式会社 松田ピアノ社 」 ( のちに鹿児島市に移転 ) にさかのぼる。

松田社長が小学校の頃、同級生の間で流行っていたのはプラモデル。零戦の組み立てなどに取り掛かると、寝食も忘れて没頭した。細かいところを手作業でひとつひとつ作り上げるプロセスが楽しくて仕方なかった。将来はエンジニアになろうと思っていたのも、この頃だ。中学時代はフォークソング全盛期。子どもの頃から習っていたピアノは小学6年でやめていたが、今度は仲間とギターやドラムでベンチャーズのコピーに勤しむ。当時はバンドをするヤツは不良だと言われていた時代だが、仲間と楽器を演奏することが楽しみだった。
高校生になり、将来どんな仕事をやっていくか真面目に考え始めた頃、いつも見ていた父の仕事も、結構面白そうなんじゃないかと思い始める。小さなころから、細かく緻密な作業が苦にならなかったことも影響していたのかもしれない。高校2年のとき、父に 「 調律をやっていきたい 」 と言った。 「 本当か。大変な仕事だぞ。本気ならいいところがあるが、勉強しに行くか 」 父は、跡継ぎができたことを喜んでくれていたと思う。

調律師になる勉強は、独学ではできない。ギターのチューニングは6弦の音を整えていけばいいが、ピアノは88鍵、弦の数にして220弦から250弦もある。松田社長は国立音大の別科、調律専修に進み、1年目にアップライトピアノ、2年目にグランドピアノの調律方法を学んだ。
その後、株式会社ディアパソンの技術課で、調律・整調・外装などの最終出荷を担当し、三新ピアノではオーバーホールについて修業。日本ピアノ調律師協会の調律技能検定試験合格後、22歳で鹿児島に戻り、父の経営する松田ピアノ社に入社する。20年間勤めたあと、技術専門の3代目として、 「 音楽工房ハートアート 」 を設立した。

調律は特殊な仕事だ。音叉一本の音を聞いて弦を整え、耳だけで音階を作っていかなければならない。また、ピアノの状態は一台一台違う。同じメーカー、同じ時期の出荷製品でも、それぞれに微妙な違いがある。ピアノのコンディションを読み取り、調整を行っていくには、訓練を積み重ねていくしかない。
調律に伺うと、練習する子供のために鍵盤を少し柔らかくできないか、などの個別の調整を依頼されることもある。お客様が弾きやすい状態に整えることも調律師の仕事だ。
使わなくなったピアノが、家で埃をかぶっている人も多いと思う。もったいないことだ。しかし、ほとんどのピアノは、オーバーホール・調律を施すことでよみがえる。ピアノは親から子へ引き継いでいける美しい贈り物だ。ヨーロッパでは、200年もののピアノでも手を入れて使い続けている。

眠っているピアノがあったら、ぜひ松田社長に相談をしてほしい。診断は無料で行っている。茨城で修業をしていた息子さんも鹿児島へ戻ってきた。体制は万全だ。オーバーホールと調律でよみがえったピアノの美しい音色を聞くのが、松田社長の喜びだ。
音楽は人生を豊かにする。映画を思い出すといい。あの感動大作に音楽がなかったら、泣ける映画になっていただろうか。
音楽は感情を揺さぶり、感動を増幅する。その音色が心を動かすために、調律師は今日も縁の下で美しい音楽を支えている。

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