鶴田酒店 鶴田 康三

鶴田 康三
 
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インタビュー

icon 「 まぼろしの五石橋 」 鶴田店主のこだわりが焼酎に現れたオリジナルブランド。
創業明治39年、鹿児島で100年以上も酒店を営む 「 鶴田酒店 」 は、店主の鶴田康三さんを数え3代目となる老舗酒店だ。 「 鶴田酒店 」 のオリジナルブランド 「 まぼろしの五石橋 」 は、平成7年に鶴田さんが鹿児島の芋焼酎を全国に広めたい・たくさんの方々に味わっていただきたいとの思いから誕生した。
一銘柄で二つの飲み方がある 「 まぼろしの五石橋 」 。
湯割用では臭みをおさえた、ふくよかな旨味が味わえ、ロック・水割り専用ではフルーティーですっきりした味わいが楽しめる。
また、味の説明が湯割用◎や○、水割用には△など、漠然とした表記が一般的でしたが、「五石橋」は、一銘柄で二種類の味が楽しめるよう、湯割用とロック・水割用を別々に作り上げ好みの味を一目瞭然に選べるように試みました。鶴田さんが酒蔵にお願いしながら何度も試行錯誤した結果、味わい・香り・瓶の色・ラベル等、鶴田さんのプロデュースによるオリジナル焼酎ができた。

名前の由来の五石橋は江戸時代末期に薩摩藩第8代藩主島津重豪が肥後国の石工・岩永三五郎を招いて、鹿児島市に流れる甲突川に造った石橋群のことで、そのうち、1993年 ( 平成5年 ) 8月6日の鹿児島大水害 ( 8・6水害 ) によって新上橋と武之橋が流出してしまう。今では残りの3つの橋だけが残っており、その名の通り今ではまぼろしの五石橋となっており、鶴田さんの五大石橋を忘れないようにとの思いから、 「 まぼろしの五石橋 」 との名を付けた。

鶴田さんは先代のお父様の5人兄弟の一番末っ子として誕生した。
小さい頃は家業のお手伝いをするのが当たり前の時代で、近所の子供達も当然のように学校が終わると家の仕事のお手伝いをしていた。鶴田さんはそういう環境の中で育ったため自分が3代目として家業の仕事をすることに何の抵抗も感じなかったという。若い頃は配達が中心の仕事が多かった。当時は今と違って建物にエレベーターがなく、3階4階と重い荷物を抱えて走り回っていた。 「 おかげでぎっくり腰に私は5回もなりましたよ 」 と、笑って当時を語ってくれた。

現代は昔と比べてお酒を飲む若い人が減ったと鶴田さんは話す。やはり晩酌 ( ばんしゃく ) をする人が減ったからだと。
その分いまではネット販売でカバーしていますと昔と今との販売経営の仕方が変わってきていると時代の流れを話してくれた。

鶴田酒店には明治時代に使用していたであろう大きな焼酎つぼが飾ってある。
一度はお店を離れ他の人の手に渡った焼酎つぼ。
ある日、鶴田酒店と書いてある焼酎つぼがあると、知り合いから谷山のお菓子屋さんで見かけたとの話を聞き、譲ってくれと頼みに行った。しかし話は進まずどうしようかと考えていた。
たまたま近所のお菓子屋さんと雑談していた時、谷山で話をした焼酎つぼの持ち主と知り合いということがわかり、その場ですんなり譲ってもらうことができた。鶴田さんのお店を愛する心と諦めなかった気持ちがきっと焼酎つぼを元の場所へ引き戻したのだろう。
「 鶴田酒店 」 には焼酎つぼをはじめ、米を量る天秤用はかりなど、鶴田酒店には歴史を感じさせる道具が大切に飾ってある。

歴史とこだわりを持った 「 鶴田酒店 」 。
これからも鹿児島の歴史と共に、全国の焼酎をこよなく愛するお客さんの元へ、こだわりの美味しい焼酎を届けていく。

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