DANCE MARKET WILL 平井 豊子

平井 豊子
 
平井 豊子 平井 豊子 平井 豊子 平井 豊子 平井 豊子

インタビュー

iconみんなで大きな絵を描く。自分だけではなく、みんなで一緒に。
クレヨンが1つでもなると絵は完成しない。
みんながひとりひとりを思いやる心を持ち、みんなで作り上げていく大切さを。

「 DANCE MAKET WILL 」 ( ダンスマーケットウィル ) を20年以上も引っ張ってきたのは平井豊子さん。JAZZダンスを中心にダンスを通じて人としての基本から、みんなで作り上げていく大切さを教えていきたいとの想いから、鹿児島県出水市で最初にダンススクールを開校した。その後、熊本の水俣に続き、鹿児島中央駅近くの高見橋電停前にスタジオを構え、数多くの子供たちにダンスの魅力を教えている。現在の生徒の数は全てのスクールを合わせると100名程にもなる。
主にJAZZ ( バレエの基礎を大切にし身体作りから指導 ) & STREET DANCE ( リズムトレーニング、アイソレーションなどの基礎から指導 ) を教えている。 「 ダンスをすることによって子供たちは笑顔になるし、精神的に強くなっていくんです 」 と子供たちが秘めているパワーを教えてくれた。

平井さんは学生の頃、器械体操の選手として国体で県代表選手にも選ばれる程の実力者だった。
高校卒業後は上京し、K・ブロードウェイダンスセンターにて大好きなダンスの練習にとにかく明け暮れた。
練習は楽しいことばかりではなかった。つらくて落ち込んだ時もたくさんあったと当時を振り返る。
しかし平井さんには辛いダンス練習を続ける原動力となる、ある先生からの言葉があった。
「 あなたはダンスをするために生まれてきたんだね 」 。
平井さんはその一言が今でも忘れられず、実際にその通りの人生を送ってきている。
そして東京時代、平井さんが尊敬してやまない 「 黒ヒョウ 」 との別名を名高せるアメリカのトップJAZZダンサー、シシリア・マルタさんに憧れダンスの腕をさらに磨いていった。

鹿児島に戻ってスクールを開校したのには理由があり、まだ小さかった娘の寿実 ( TOSHIMI ) さんにさみしい想いをさせたくないからとの思いからだった。
東京で厳しいレッスンに耐えて習得した経験を、今度は鹿児島の大地にしっかりと根を張り教えていこうと決心した。

2009年に20周年を迎え、その際には大きな会場を貸切り、父兄も一緒になり何ヶ月もかけてみんなで練習、準備をしてきた。当日、子供たちは手作り衣装に身を固め、とてもユニークなストーリー展開に合わせて一生懸命踊った。そして、会場に足を運んでくれた父兄、お客さんたちを笑いと感動の渦へ導き、3時間にも及ぶダンス発表会を生徒、先生みんなで大成功させた。

みんなが一人一人同じ目標に向かって一つの絵をみんなで描く。
人生の中で人は一人では生きていけない。みんな誰かに助けられて生きている。感謝する心、そして仲間を大切にする心。
そんな人間になってほしいと平井さんの願いがとても詰まっている発表会だった。

平井さんに今後の目標を訪ねると、最近ではダンス界も大変賑やかになってきましたが、
時代の流れに負けず、70才、80才になってもダンスを教え、そして踊り続けたい 」 と笑顔で語ってくれた。

平井さんのダンスへの想いはこれからも子供たちの体ヘダイレクトに響き、一つのものを作り上げる喜びと感動を生み出していくのであろう。時代の流れに負けず、強い精神と、強い体と心を、今日も光る汗を流しながら、スタジオにはこすれるシューズの音と音楽が鳴り響く。

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